ホップフィールド先生とヒントン先生がノーベル物理学賞を受賞されました。ホップフィールドネットワークの研究者としては感慨深いです。今回は伝統的な物理学賞の傾向からかなり外れたものになりました。選考委員会の基準は分かりませんが、人によって感想は大きく違うようです。日本人は機械学習の発展に大きく貢献した甘利先生や福島先生が受賞していないのはおかしいという意見になりがちです。一方では、物理学賞の対象としては無理があるという意見も目にします。私もそう思います。受賞者は統計物理学ということで物理学賞の範疇に入れたと思われますが、日本人2人に与えるとすればどのように正当化するのでしょう。
日本人なら日本人を推すべきだという人もいます。ある論文のイントロダクションでバックプロパゲーションについて触れました。査読者から「バックプロパゲーションは甘利先生が先だ。貴方も日本人なら甘利先生の論文を引用すべきだ。」とコメントされました。具体的な文献については知らないから自分で探せと書かれていました。研究に人種や国籍が関係するのでしょうか。査読者が個人的な価値観を押し付けるのはどうかと思います。甘利先生が先に行っていたという本人の文章はどこかで読みました。確か、日本語で書いたために「こっちが先だと主張しても後の祭り」と表現されていたような。「バックプロパゲーション」というエレガントな解釈は与えられなかったとも書かれていました。現代においては英語が研究の公用語でもあり、英語で書かないと国際的には主張できないでしょう。日本語で書いたということは、当時は仕事の価値に気付いていなかったのではないでしょうか。私の分野でも新田先生が複素ニューラルネットワークの論文を日本語で書いています。同時期に他の研究者も有名な論文誌で発表していて、発案者としての地位が低くなってしまったのが残念です。さて、査読コメントの話に戻しますと、国内会議への投稿で修正後の査読はないため無視しました。
私の研究は不当に低く評価されることが多かったと思います。ノーベル賞を機に少なくなってくれることを期待したいです。X にもポストしましたが、ホップフィールドネットワークというだけで査読もしてもらえなかったことがあります。ホップフィールドネットワーク関連の論文が掲載され続けていたのを確認していましたので、全く不可解でした。
職場内でも理解が得られなかった事例にも触れましょう。ホップフィールド連想記憶の研究について上司に提案しましたが、役に立たないということで研究許可が下りませんでした。ホップフィールドネットワークの最適化問題への応用には理解がありました。ボルツマンマシンやMLPも評価していました。なぜか連想記憶だけは許されません。何度行っても怒鳴りつけられて追い返されるの繰り返しでした。ようやく許可が出た後も色々と横槍が入り、1年以上も遅れました。この論文は同じ問題に取り組んでいた外部の研究者からは高く評価していただきました。結果を見れば、上司の偏見だったとしか言いようがありません。上司は若い頃に日本初のワープロを提案しましたが、その上司から必要なメモリが多すぎるという理由で却下され、他に先を越されて悔しい思いをしたそうです。同じようなことを部下にしてしまった訳ですね。その後も、ニューラルネットワークの研究を止めるよう勧告され続けました。結果的には私の研究はそれなりに成功したと思います。実際に問い合わせてくる研究機関もありました。今でも上司の価値観が正しかったとは思えないです。
多くの同僚は私の研究内容までは知らないので、ホップフィールドネットワークというよりニューラルネットワークへの偏見ですね。研究室外からも、ニューラルネットワークだから役に立たないとか、簡単に論文が書けるとか批判を浴び続けました。ばったり会って、いきなり罵倒されたこともあります。ニューラルネットワークの研究者は私だけではありませんでした。その同僚は一目置かれていますので、批判されることはありません。ダブルスタンダードですが、教員に暗黙の序列ができているのです。序列の低い教員が自分より論文を書けば腹立たしいのも分かります。数があれば、次は質を否定するのも自然な流れ。レベルが低くて簡単に論文が書ける分野と本気で思っているのです。放っておいてくれればそれで十分なのですが、黙ってはいられないようですね。今回のノーベル賞でこのような偏見が消えることを期待します。